2012年09月03日

文鮮明先生死去に思うこと

久々の更新になりました。

今日多くのニュースでも報道されているように、統一教会の創始者であられます、文鮮明先生が死去(聖和)されました。

未だに信じられません。


しかし、なくなって気づいたことはどこかまだ文先生に頼っていたところがあった。

これからは本当に文先生が歩んでこられたように、教えを実践し、文先生がなそうとされた、世界平和、家族の平和、個人の心身統一をなして行けるように頑張りたいと決意を新たにさせられました。

当然悲しみもありますが、悲しんで終わるのではなく、これを新しい出発として、霊界にいる文先生に恩返しをしていこう!




今日も読んでくださってありがとうございますわーい(嬉しい顔)



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2011年06月30日

エネルギー問題に対しての案

石油の埋蔵量かも減少するとともに、エネルギー源をめぐる危機感が日に日に高まっています。…本当の代替エネルギーは海にあります。海の中に埋められた水素エネルギーに人類の未来があります。
(「平和を愛する世界人として 文鮮明自叙伝」より)

今核のエネルギーの賛否が騒がれていますが、新しいエネルギー源の解決の道は海にあるそうです。
これからはもっと海に関心をもっていきたいと思います。
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2011年06月27日

瞑想の力

最近は瞑想とみ言訓読を「神様」を意識しながら行っています。

瞑想し、み言を読むことによって、神様が直接語りかけてくれた言葉のように感じることがあります。

また、仕事に対しても、今日の歩みはどうだったか神様に尋ね瞑想します。

そうすると、どんな意識で仕事に向かって行ったらよいか、何をすべきかがなんとなくすっきりしてくる気がします。
生活の中で、教会にいる時、家にいるとき、職場にいるときも同じような心持ちでいられるような気がします。

今日感じた神様の心情は原理講論から

予定論によれば、神のみ旨は、絶対的なものとして予定され、摂理なさるので、一度立てられたみ旨は必ず成就されるのである。しかし、ある人物を中心とするみ旨成就の可否は、どこまでも相対的であって、それは神の責任分担とその人物の責任分担とが一体となって初めて成就されるのである。したがって、そのみ旨成就の使命を担当した人物が、責任分担を全部果たさないために、そのみ旨が達成されないときには、時代を変えて他の人物をその代わりに立てても、必ず、そのみ旨を成就する摂理をなさるのである。このようにして復帰摂理は延長されていくのである。(第三章第二節より)

ここに歴史を導いてこられた神様の人間をすくうという絶対的な決意が感じ取られます。
また人間がいくら失敗したとしても、代わりを立ててでも、また神様が一から神様の責任分担を文句も言わずに果たしてくださり、人間の勝利を待っていて下さるということを感じました。
そして私自身においても、神様がすべてを用意して下さっており、後は自分の責任分担を果たすことが願われているということを感じました。

み言は神霊と真理があります。
真理を理解しただけではまだまだです。
奥深い神様の心情の世界、神霊を求めていくことでまだまだ同じみ言でも開けていく世界があります。

今日も読んでくださってありがとうございます。



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2011年06月13日

同じみ言でも

昨日のチャート1DAYでみ言の前に対象となって読むこと、神様が直接自分に語りかけてくれたみ言だと思って読むこと、これを意識してみ言を読んでいます。
こうすることで今までは何度も読み流していたところに感動し、はじめて受ける感じ方があります。
今日はおなじみの創造原理から

神の第一祝福は個性を完成することにある。人間が個性を完成しようとすれば、神の二性性相の対象として分立された心と体とが、授受作用によって、合性一体化して、それ自体において、神を中心として個体的な四位基台をつくらなければならない。(『原理講論』創造原理より)

心も体ももともとは神様から出発した。心も体ももともとは一つだった。神様はあえてそれを分けて実体として表し、それが授受作用によって一つになることによる喜びを人間(私)に与えて下さろうとした。

読み方を変えるだけでみ言のとらえ方が変わり、感じる世界も大きく変わってきます。


今日も読んでくださってありがとうございます。


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